2.繰り返し練習する 先にあげた運転の練習の例でいえば、入力されるデータは、またしても両親や自動車学校、兄姉や友人たちからの指示だ。繰り返し練習する、は読んで字のごとし。運転が習慣的行動となるまで、ひたすら「練習」(この場合は運転)を繰り返す。しかし、運転が習慣になつたことは、どこでわかるのだろう? 意識しなくてもできるようになったら、習慣になったということだ。入力された情報が、練習を重ねてようやく潜在意識に定着したわけだ。こうもいえるその行動(この場合は運転)を「自動操縦装置」に任せ、その間に私たちの心は、同乗者と話したり、カーラジオで野球の放送を聞いたりと、自由に、好奇心のままに楽しんでいるのだ、と。あなたは、ピアノのあるレストランやバーで、ピアニストが美しい音楽を奏でながら、客の誰かと話し込んでいるのを見たことがあるだろうか? このとき、ピアニストは客との話に夢中になっているにもかかわらず、両手はミス一つなく鍵盤の上を自在に飛び回っている。もちろん、このピアニストも最初からこんなにうまくこの曲が弾けたわけではない。ものすごい集中力で楽譜を読み(おしゃべりはなしだ)、意識しなくても間違いなく弾けるようになるまで、何度も練習をしてきた。 このピアニストが、もしも別の常連客から、楽譜は持っているが暗譜していない曲をリクエストされた場合は、楽譜を見ながら演奏はできても、おしゃべりをしながら、というわけにはいかないだろう。譜面を読むのに意識を集中する必要があるからだ。 同じことがタイピングにもいえる。誰でも、キーボードで文字を打ち込む練習を始めたときは、さんざん注意され、何度もスペルミスをするものだが、できてしまえば簡単なものだ。 つまり、すでに述べたように、習慣の利点は、意識せずにさまざまなことができるようになることだ。では次に、ある種の習慣、とくに否定的な習慣が、どんなふうに私たちの行動に否定的な影響を与え、ときにはじっさいに被害を与えるかを見ていこう。「悪い習慣」とは何か? 悪い習慣とはまさに 「悪い習慣」 で、長年にわたって培われてきたものであり、本人がや たんでき めたいと思ってもなかなかやめられないものだ。専門家はこれを 「耽溺」 と呼んでいる。し かしこの 「悪い」 習慣をやめるためにも、本書で紹介する、自分が人生に望むあらゆる変化 を起こすための方法と技術が役立つのだ(第8章「アファーメーションで潜在意識を再プロ グラムする」 を参照のこと)。つまり、これまで自分だと信じ込まされてきたのは幻想や錯 覚で、本当の自分はまるで違う存在だと気づくのを妨げてきた、昔ながらの習慣や、古びた
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